新世界遺産・中国、ハニ族の棚田(6・霧晴れて棚田、寛ぐ牛)

1時間ほど待って、展望台へリベンジする。
お昼もだんだん近くなっていることもあり、霧は綺麗に晴れていた。
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雲が残っているけれど、雲の影がかえって棚田の大きさを認識させる気がする。

向こうに見える集落、何故かヨーロッパみたいと感じてしまった。
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展望台から後ろをみると、沼と小さな棚田がある。日本でよく見る棚田より、田んぼ1枚1枚の高低差が小さい気がする。
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そこへ牛がやってきた。
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農作業のためだろう、牛は、山道の向こうへ消えていった。
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よそ見をしているうち、高い雲がさっきより減って、青空が広がった。
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アップにすると、前もそうだったけどまるで模型のようだ。
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ちょうど雲の切れ間から家が見えていた。それにしても雲が低い。元陽の標高は1600m-2500mくらいだそうだ。
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振り向くと、先ほどの牛が戻ってきて、沼で水浴びを始めていた。
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新世界遺産・中国、ハニ族の棚田(5・霧の中)

展望台を管理するらしいこのチケットオフィスの横を通りすぎて、展望台に行きます。
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近代的なひさし付きの展望台から見えるのは、きっとすごい風景なんだろうけど、残念ながら霧の中だった。
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たまにちょっと見える。なんとなくすごさがわかるけど、すぐに隠れてしまう。
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少し見えた時に色々シャッターを切ってみる。
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あまり霧の中なので、すぐ近くに視点を移すと、蛙が身を潜めていた。
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いったん道を戻ることにした。
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ちょっと移動すると全然霧はないのになあ。
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新世界遺産・中国、ハニ族の棚田(4・再びハニ族の人たちの街)

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タクシーは再び移動し、街に入っていく。さっきと同じ街かどうかはよくわからない。

それにしても、レンガの家が目立つ。このあたりは地震があまりないのかもしれない。
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右端の青い看板は中国電信(電話会社)。どの街に行っても見かける気がする。
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おばあさんたちが見ている方向に、結婚を祝して着飾った若者2人と、その親族?が列をなしてあるいているのが見えた。肝心の結婚式の列はカメラに収められなかった。
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街を抜けると、小奇麗な建物と道のあるところに出た。運転手はここで暫く待っているようにと行って車を降り、建物に入っていった。どうも棚田観光のオフィスがある事務所のようで、戻ってくると手にパンフレットと、大きなステッカーみたいなものを持ってきた。パンフレットはぼくにくれて、ステッカーみたいなものは後部ガラスにどんと貼りつけた。これが貼ってあると、観光客を載せた借り上げ車ということで何か特権があるように感じられたが、結局のところそれがいったいなんなのか聞かずじまいだった。

待っている間ぼうっとしていると、向こうから2匹の犬がやってきた。
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仲良さげだ。

2匹が見つめる向こうでは、何やら道路工事をやっているようだ。
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職業的工事夫というより、道路工事のために老若男女が近くから集まっているという感じがする。
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そんな人間の活動を素知らぬ顔で、砂山にでんと寛いでいる犬がいる。

そのうちにこの犬、さきほどの2匹と一緒に砂山で遊びはじめた。この街の犬は仲がよいらしい。
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また車に乗って暫く行く。今度はこれまでと比べると小さな棚田が広がる。ハニ族の人たちは、とにかくあちらこちらを棚田にしているのだと思う。
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新世界遺産・中国、ハニ族の棚田(3・等高線のような棚田)

棚田は広大なので、展望場所はいくつも用意されています。それを運転手に連れられて、ひとつひとつ回ることになります。
朝のうちは、まだ霧にむせていました。
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ここでの棚田は、アップで撮ったほうがその規模がよくわかる気がします。なんとなく等高線が描かれた地形図をみている気分になります。
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霧で隠れた向こうにも棚田。
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展望台にハニ族の母娘がやってきました。たぶん、土産物を売りに来たのだと思うのだけど…f:id:koinobori:20090716083558j:plain

ぼくの他にも観光客がひとり来て、三脚を構えていました。
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この後、別のロケーションにも行ったのですが、そこは完全に霧の中。早々にあきらめて、他の場所に移ることに。
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その辺をほっつき歩いていた豚と鶏。放し飼いなんだろうな、きっと。
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新世界遺産・中国、ハニ族の棚田(2・ハニ族の人たち)

タクシーは新街から郊外へ進んでいく。

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バックミラーから縁起物のアクセサリーがぶら下がっているのが中国らしい。
家に止まっているワゴン車は新しそうだ。お金がある家なのかな。

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しばらく行くと門にたどり着いた。元陽梯田景区。
中国では、棚田を「梯田」と表現する。これもなんとなく分かる気がする。

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走っている車窓からも棚田が見える。

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棚田観光の前に、ご飯をまず食べる。
運転手が食堂らしきところに連れて行ってくれた。これは雲南省名物の米線。米の麺。
こういう田舎に行っても、使い捨ての箸がビニール袋にちゃんと入っているのは安心する。

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このあたりは胜村(勝村)というらしい。勝村の鮮肉市場の看板だ。ちょうど、解体された豚肉を皆が品定めしていた(次の写真はその様子です。弱い方すみません)。






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解体された豚肉をそのまま持って帰っている姿は結構衝撃的でびっくりしました。市場に来るのは男ばかりというのもちょっと興味深いです。

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ぶれぶれで申し訳ないですが、その近くではおばあさんが工芸品?を売っていました。

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同じく、近くでたむろしていた男性たち。
女性もいます。前のおばあさんもそうですが、女性が着ているのが今回世界遺産に指定されたハニ族の文化を象徴する、ハニ族の民族衣装です。男性は民族衣装を着ません。後で知りましたが、民族衣装は着ないけど、ハニ族特有の刺青を腕にしているようです。実は、タクシーの運転手さんもハニ族の方で、刺青を見せてくれました。
ちなみに中央の方が大きな筒を抱えていますが、これは雲南省名物の水タバコです(雲南省ならハニ族でなくても吸ってます)。下の方に紙巻煙草をさして、上から吸うという仕組み。中国人一般から見ても奇異な水タバコだそうなのですが、右端の方は普通に紙巻煙草を吸っています。ひょっとして廃れつつあるんだろうか?

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なんかよくわからないけど、インパクトのあるトラック。メンテナンス性はよさそう。

次はようやく、棚田の展望場所に行きます。


なんというか、ぶれぶれの写真ばかりで申し訳ない…。

新世界遺産・中国、ハニ族の棚田(1・行くまで)

先日カンボジアプノンペンで開かれた世界遺産委員会では、富士山の登録が大きく注目され報道された。この委員会では当然ながらほかの国の世界遺産も登録され、そのニュースをぼうっと眺めていたところ、なんとぼくが以前訪れた「ハニ族の棚田の文化的景観」(雲南省紅河ハニ族イ族自治州・元陽の棚田、元陽梯田)が登録となったことを知った。
たまたま訪れていた所が世界遺産になるのは(なんとなく)大変光栄なことなので、まだ記憶がそれなりに残っているうちに、その当時(2009年)の旅行記を書いておきたいなと思う。

雲南省省都昆明

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昆明から棚田のある元陽まで行くには、公共交通機関としてはバスしかなかった。昆明の北のほうにある観光地(大理、シーサパンナとか)には空港もあるのだが、南の方には、少なくとも旅客便を取り扱う空港は殆どない。たぶん今でも同じはずだ。
バスは、直行便もあるが、その途中に位置する建水という街になんとなく惹かれて、まずはそこへ立ち寄り1泊してから元陽に行くことにした。

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昆明のバスターミナル。行き先ごとに乗車場所が定められていて、バスが待っていた。今は移転してこのバスターミナルではないらしい。
中国ではバスの運転手が居眠りして起こす事故も多いと聞いていたので、結構緊張する。

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途中のドライブインみたいなところで売っていた白い何か。確か、お酒らしい。
このドライブインは下道にあったが、途中高速道路も通った。高速道路は日本と遜色ない程度に整備されていて、とても快適だった。


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3~4時間ほどで建水。

建水(紅河ハニ族イ族自治州、建水県)は人口50万人というが、それはまわりの農村地帯をあわせての数だと思う(だとすると、どれだけ農村に人が住んでいるのだろうとも思う)。中心地である臨安鎮に宿泊したが、そこまで大きな街とは感じられなかった。

建水の観光も楽しかった。別の機会に是非書きたい。

ここからバスに乗ってごとごとさらに南へ、今度は確か高速道路はほとんど通らなかった気がする。

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追い越す車がボロボロだ。

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道路は、時々センターラインがなくなるが、概ね快調。

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元陽市街が近づくにつれ、棚田が見えてきだした。否が応にも期待が高まる。

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分かれ道だ。右が元陽(元阳)、あと14キロ。
ちなみに左に曲がって146キロと出ている河口は、中国・ベトナムの国境の街だ(余談だけど、ここには昆明からのメーターゲージの鉄路があり、ベトナムへつながっている。昔は旅客列車が走っていたが、今は貨物のみという)。

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牛も連れられている。もう夕方。農作業が終わったのだろう。


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…そしてようやく元陽(紅河ハニ族イ族自治州、元陽県)に到着した。
元陽の市街は大きく二つに分かれていて、ひとつは新街という旧市街(ややこしい)と、もうひとつは南沙という新市街だという。棚田観光の拠点になるのは新街のほうだ。バスによっては新街まで行ってくれるらしいが、ぼくのバスは南沙どまりだったので、ここからタクシーを拾わねばならない。

バスターミナルの近くで止まっていたタクシーに声をかけ、新街まで行ってほしいとお願いする(ぼくの中国語は下の下で、声をかけるところまでは言えるけど、あとは全部辞書を引きながらの筆談です。漢字文化圏ばんざい←現地民からはけっこう面倒くさかったろう。すみません)。
ホテルはどこか?と聞かれ、決まってないと答えると、ホテルを紹介するという。そして、棚田観光するなら、明日朝から案内するよと売り込みされた。明日一日案内して運賃はこれこれと提示され、ネットで見た相場とあまり変わらなかったけど、少しだけそれより安くしてもらった(たしか100~150元の間くらいだった。1元16円くらいなので、正直言って値切るほどの価格ではなかったと今となっては思う)。

案内されたホテルは、ゴキブリが出た以外は快適だった(皮肉っぽく聞こえるかもしれないが、本当に快適だった)。スーパーを物色したりしながら夜を過ごした。

朝6時、約束通りにやってきた運転手が部屋のドアをたたく。連れられて昨日のタクシーに乗り込んだ。(続きます…そのはず)

台所用洗剤の歴史

先週日曜日の朝、9時前ごろに目覚め、Twitterを覗くと、TLはこの時間としてはいつものようにプリキュアの話題で持ちきりだった。
テレビをつけると既に番組終盤であり、本編数分とエンディング、次回予告が見られたのみだった。
その次回予告で、おそらくヒロインの家にやってきた新キャラらしき女の子が家事を手伝おうとして、野菜が沈められた洗い桶に洗剤を投入する場面が「野菜洗うのに洗剤入れちゃだめだよ」というヒロインの突っ込み音声とともに流された。

野菜、洗剤…なんとなくもやもやしているところに、TLに流れてきたツイートに反応したところ、結果としてtogetterに纏められてしまった。
野菜の清浄化の歴史 - Togetter

そこでもう少し調べようと図書館に行くと、「日本中性洗剤協会二十年史 台所用中性洗剤の歩み」なる本を見つけた。なぜ野菜を洗剤で洗うのか、洗剤はどのようにして誕生したのか等についてが業界の視点から語られていて面白い。
日本中性洗剤協会二十年史―台所用中性洗剤の歩み (1983年)

この本と一部ネットの情報を元に台所用洗剤について纏めてみることにした(安全性については検索をかければ山ほど出てくるので今回は書きません)。

台所用洗剤誕生以前の皿洗い事情

  • 日本の食事は、欧米に比べて脂肪や蛋白質が少なかったため、水洗いで事足りていた。幕末の書物によると、「毎食後に膳椀の類は洗わず、ただ、月に4~5回これを洗う。その間は、ふきんにて之を拭き納む」(喜田川守貞「守貞漫稿」)ともあった。
    • 昭和40年代後半の調査では、ごく少ないとはいえ、カレーやシチューといった場合以外は洗わないという家庭がまだ東京に存在した。
  • 戦前の食器洗いは、基本的に流水は使わず、洗い桶につけ、束子かふきんでこすり、溜水で濯ぐというやり方で、脂肪分の多い汚れについては、かまどの下の灰、みがき粉が使われていた。
    • 海外居住経験のある家庭、高級官僚の家庭においては、クレンザーと粉石鹸を半々にしたものを入れ、たわしにつけてこすることがあった。
    • カットグラスのある家庭においては、海綿に粉石鹸を付け、上等の漆器は酢・梅酢で洗われた。

洗剤の開発

  • 第一次大戦下のドイツで封鎖による油脂類の不足が生じ代替品の製法を模索。
  • 第二次大戦において世界的に油脂枯渇。石鹸に代わる洗浄法の研究開発が進む。
    • 日本においてもモノゲン(1935年「DK300番」→1937年「モノゲン」→1964年「モノゲンユニ」→2006年終売。ただ工業用の「モノゲン」は今も販売)などの油脂系合成洗剤(高級アルコール系合成洗剤)が発売。

rakuten:練りモノゲン

  • 終戦後昭和26年、油脂を原料としない鉱油系合成洗剤(アルキルベンゼン合成洗剤)が発売された(「ソープレスソープライポン」ライオン、「ソープレスソープワンダフル」花王)。
    • この2製品は衣料洗濯を主な用途としたが、容器には食器・野菜・果物の洗浄にも利用できると記載されていた。

高まる野菜・食器洗浄のニーズ

衛生

  • 日本では以前から屎尿を肥料として用いられており、昭和三十年代では、この影響により、国民の30%は回虫を保有している状態。
  • 食品・食器・調理用具の不衛生・手洗いの不全により、赤痢等の経口伝染病患者は著しい高率。
    • 生食野菜の摂取の増加。
  • 人口増に伴う農作物増産のため、今では使用されない強力な農薬(パラチオン・BHC・ヒ酸鉛等)が利用され、残留農薬による事故が報道。
  • 米ソによる核実験のため放射能灰落下による農作物汚染。

油料理

  • 昭和10年に対する昭和30年の食用油の1人あたり消費量は2.5倍に、バターは2.2倍に、マーガリンは25.1倍に。

台所用洗剤の誕生

  • 昭和31年5月、業界新聞「日刊油脂・製品特報」が座談会を行い、「野菜洗浄国民運動の兆し」として報じた。

厚生省「厚生省で頭を痛めているのは回虫の問題であり、野菜に付着した虫卵を除去するよい方法はないか」
メーカ「鉱油系合成洗剤の利用が有効であり、この洗剤の特長は石鹸と異なり、野菜・果物洗い用に、中性に作ることができ、無臭で冷水にもよく溶け、洗浄力も強い」

  • 厚生省は座談会を受け、鉱油系合成洗剤の洗浄力、安全性について確認を開始した。
    • 国立予防衛生研究所寄生虫部にて回虫卵の除去性能を確認
    • 国立衛生試験所薬理部にて急性毒性試験を実施
  • 昭和31年9月、厚生省は「野菜類・食器等の合成洗剤による洗滌について」を各都道府県知事宛に通達。
    • 同年「ライポンF」(ライオン。1960年代末終売。業務用は現在も販売)発売。概ね2年ほどで主要メーカの商品が出揃う。

ライオン ライポンF粉末 10kg

洗剤使用による野菜洗浄のその後

  • 昭和47年6月、食品衛生法改正。野菜・果物・食器用の洗剤に規定が適用されることになる。
  • 昭和47年8月、台所用洗剤のJIS制定。
  • 昭和48年4月、食品衛生法の規定にもとづき、成分規格と使用基準が定められる。
  • 昭和48年、東京都、水銀系農薬、パラチオン、BHC、DDT等の有機塩素系農薬が禁止され、寄生虫も減ったとして、野菜・果物の洗浄は水洗いでよいと発表。同時期大阪府も同様の発表。
    • 塵埃、排気ガスの煤、重金属類等への作物への汚染、農薬自体が使われないわけではないことから考えると引き続き洗剤を利用すべきとメーカ経営者(の一部)は考えていた模様。

この間がちょっと飛んで

  • 一般家庭では野菜果物も洗うニーズが廃れた
  • 野菜・果物を洗う中性洗剤ではなく、弱酸性、弱アルカリ性の食器専用の洗剤も台所用として発売されるようになる
    • 依然として業務用では野菜果物を洗剤で洗うニーズが残っている

日本石鹸洗剤工業会 石けん洗剤知識 台所

となったようです。