台所用洗剤の歴史
先週日曜日の朝、9時前ごろに目覚め、Twitterを覗くと、TLはこの時間としてはいつものようにプリキュアの話題で持ちきりだった。
テレビをつけると既に番組終盤であり、本編数分とエンディング、次回予告が見られたのみだった。
その次回予告で、おそらくヒロインの家にやってきた新キャラらしき女の子が家事を手伝おうとして、野菜が沈められた洗い桶に洗剤を投入する場面が「野菜洗うのに洗剤入れちゃだめだよ」というヒロインの突っ込み音声とともに流された。
野菜、洗剤…なんとなくもやもやしているところに、TLに流れてきたツイートに反応したところ、結果としてtogetterに纏められてしまった。
野菜の清浄化の歴史 - Togetter
そこでもう少し調べようと図書館に行くと、「日本中性洗剤協会二十年史 台所用中性洗剤の歩み」なる本を見つけた。なぜ野菜を洗剤で洗うのか、洗剤はどのようにして誕生したのか等についてが業界の視点から語られていて面白い。
日本中性洗剤協会二十年史―台所用中性洗剤の歩み (1983年)
この本と一部ネットの情報を元に台所用洗剤について纏めてみることにした(安全性については検索をかければ山ほど出てくるので今回は書きません)。
台所用洗剤誕生以前の皿洗い事情
- 日本の食事は、欧米に比べて脂肪や蛋白質が少なかったため、水洗いで事足りていた。幕末の書物によると、「毎食後に膳椀の類は洗わず、ただ、月に4~5回これを洗う。その間は、ふきんにて之を拭き納む」(喜田川守貞「守貞漫稿」)ともあった。
- 昭和40年代後半の調査では、ごく少ないとはいえ、カレーやシチューといった場合以外は洗わないという家庭がまだ東京に存在した。
- 戦前の食器洗いは、基本的に流水は使わず、洗い桶につけ、束子かふきんでこすり、溜水で濯ぐというやり方で、脂肪分の多い汚れについては、かまどの下の灰、みがき粉が使われていた。
- 海外居住経験のある家庭、高級官僚の家庭においては、クレンザーと粉石鹸を半々にしたものを入れ、たわしにつけてこすることがあった。
- カットグラスのある家庭においては、海綿に粉石鹸を付け、上等の漆器は酢・梅酢で洗われた。
洗剤の開発
- 第一次大戦下のドイツで封鎖による油脂類の不足が生じ代替品の製法を模索。
- 第二次大戦において世界的に油脂枯渇。石鹸に代わる洗浄法の研究開発が進む。
高まる野菜・食器洗浄のニーズ
衛生
油料理
- 昭和10年に対する昭和30年の食用油の1人あたり消費量は2.5倍に、バターは2.2倍に、マーガリンは25.1倍に。
台所用洗剤の誕生
- 昭和31年5月、業界新聞「日刊油脂・製品特報」が座談会を行い、「野菜洗浄国民運動の兆し」として報じた。
厚生省「厚生省で頭を痛めているのは回虫の問題であり、野菜に付着した虫卵を除去するよい方法はないか」
メーカ「鉱油系合成洗剤の利用が有効であり、この洗剤の特長は石鹸と異なり、野菜・果物洗い用に、中性に作ることができ、無臭で冷水にもよく溶け、洗浄力も強い」
洗剤使用による野菜洗浄のその後
- 昭和47年6月、食品衛生法改正。野菜・果物・食器用の洗剤に規定が適用されることになる。
- 昭和47年8月、台所用洗剤のJIS制定。
- 昭和48年4月、食品衛生法の規定にもとづき、成分規格と使用基準が定められる。
- 昭和48年、東京都、水銀系農薬、パラチオン、BHC、DDT等の有機塩素系農薬が禁止され、寄生虫も減ったとして、野菜・果物の洗浄は水洗いでよいと発表。同時期大阪府も同様の発表。
- 塵埃、排気ガスの煤、重金属類等への作物への汚染、農薬自体が使われないわけではないことから考えると引き続き洗剤を利用すべきとメーカ経営者(の一部)は考えていた模様。
この間がちょっと飛んで
- 一般家庭では野菜果物も洗うニーズが廃れた
- 野菜・果物を洗う中性洗剤ではなく、弱酸性、弱アルカリ性の食器専用の洗剤も台所用として発売されるようになる
- 依然として業務用では野菜果物を洗剤で洗うニーズが残っている
となったようです。