「この世界の片隅に」 2014年に監督が言っていた、「世界を描く」ということ
2014年5月3日、広島ではフラワーフェスティバルという60万人規模のお祭りが開かれていて、なんとなくそのあたりをぶらぶらしていると、旧日本銀行広島支店の建物で、なにかアニメに関連した催しをやっていた。
「調べて描く『この世界の片隅に』の世界展」。
片渕須直さんというアニメーション監督が講演しているようだ。入って聞いてみることにした。
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入ると、ちょうど講演している途中だった。とりあえず空いていた後ろのほうの座席に座って、メモを取って聞くことにした。
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フランスで上映したとき、『この作品でフランスを舞台にした理由は何故か』と質問された。
自分としては、フランスを舞台にしたつもりはなかった。フランスの古い衣装を使ったからそう思われたのか。それによってそう思われてしまうのなら、もっとフランスっぽいものにするか、逆にフランスっぽさがないように描いた方がよかったのではないか。
一方で通訳には、「なぜ日本人は海外を一生懸命描くのか」と言われた。
そうした経験をもとに、今度は日本、山口県防府を舞台に「マイマイ新子と千年の魔法」をつくった。そして「この世界の片隅に」に出会った。
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メモからすれば、こんな話しから聞き始めたようだ。たぶん最初の「フランスを舞台にした」と勘違いされた作品は、映画として片渕監督の前々作であった「アリーテ姫」のことだろう。原作は英国の児童文学だ。
それから聞いたのは、広島に居ても今やそうそう見聞きすることのない、戦前の広島と呉の風景・風俗、その正確な描写に賭ける、アニメーション監督の執念だった。
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片渕監督は、ノートパソコンから「この世界の片隅に」の漫画の1コマ目を映写した。
1コマ目は、幼い主人公のすずが、親にお遣いを言い付かる、ほぼ正方形に近い大きなコマだ。
背景は屋外を描写している。黒い正方形のものが縦に複数枚貼っつけてある板が、塀に立てかけられている。
「この場面を映画として描くには、横に広げなければいけないんです」
映画の16:9の画面サイズに合わせるためには、漫画の情報では足りないというのだ。
「まずこのコマの舞台である江波ってどこなのか、そしてこの背景は何なのかがわからない」
そこで監督は広島市中区江波に行き、いっぱいの写真を撮ってきたというのだ。写真を映写する。
「どうもこの辺らしいんですけど、漫画に描かれている風景とは全然違っていた。昔はここに防波堤があった」
昭和9年(漫画の原作では昭和9年1月。ただしその後聞く話では、今上天皇の生誕が昭和8年12月23日であるため、その直後である昭和9年1月の市街地の様相は普段とかなり違っていたと考えて昭和8年の出来事に変更している)の江波と、平成の江波とでは当然にして風景が異なる。特に江波は、埋め立てが進んでしまっている。そこで、古い写真も集める必要があった。
「そうしてようやく描けるようになったのがこの絵です」
そういって監督は線画を出した。漫画のコマに描かれた風景が横長に広がった。
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横長に広がったイラストは、一見すればなんてことのない風景画である。
そのなんてことのない、一瞬しか映らない背景のために、いったいどれだけの労力を要しているのか。
映画が1本120分が標準だとすると、その120分のための労力とはいったいどれほどのものだろうか。気の遠くなるような話だ。
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監督は言う。
「調べ物をしてもしなくても、想像でも描くことはできる。でも調べ物のおかげで、漫画に描かれたここがどういう土地か、日の光はどこからなのか、この背景にある松は最近まで生えていたんだとか、そういうことがわかる。『この世界』がどういう『世界』を描こうとしているのかがわかる。
すずがお使いのために歩く道はどういう道なのか。調べると、ここはバスが通っていた道だということもわかる。バスに乗らない子なんだ、自分の足でてくてく歩く子なんだな、ということがわかる」
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監督がそれだけ調べているからには、原作も相当調べられて描かれているのだろう。しかし本当に、原作はそれだけの考証に耐えるものなんだろうか。原作者のこうの史代先生には失礼ながらもそう思っていると、今度は別のコマが映写された。
「すずが中島本町の料理屋に海苔を届けに行く場面のコマですが、橋があって、奥にもう1こ橋がある。年代が進んだ場面でも、同じような橋が出てくる。しかしこの2つの橋をよく見ると少し違うんです」
描かれた橋は、広島市民に知らない人はいない「相生橋」だ。相生橋は、上から見るとT字の形をしていて、それゆえ原爆の投下目標になったとされる。近くには原爆ドーム、旧広島市民球場跡地、広島の交通の要衝である広島バスセンターその他があり、広島の中心地を象徴するものだ。
「昭和9年は相生橋はT型になっていないんです」
相生橋がT字型になったのは、昭和13年から昭和15年にかけてである。昭和9年の1月には形が違っていた。こうの先生は、それをなんの明示もせず描き分けているというのだ。
「こうのさんは漫画の中で絶対に、同じところの風景がなぜ違うのかということを描かない。実際の世界はそのままで存在するのだからと考えていらっしゃるのだろう」
作ろうとする映画においても、何年何月のこの場所はこうだった、というのを描かなければならない、と監督は言う。
このこだわりは、たとえば、橋の欄干を描いても、ある戦前の写真ではこうだったとして描いてみたが、この年のこの月は違う形の欄干だったとして書き直し、また、戦中の広島駅を描きたくても戦前と戦後の写真しかなく分からないから描かなかったりなど、徹底されている。
自分はこれまで漠然と、戦前は戦前として塊のようにとらえていた。そこに年月の移り変わりがあることをちゃんと理解していただろうか。自分を恥じ入る気持ちになる。
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こうの史代と片渕須直のこだわりは、風俗史にも表れている。
昭和9年の場面では、すずの後ろでヨーヨーをやっているセリフなしの子どもがいる。
「この時期突然のヨーヨーブームだったんです。小津安二郎の『非常線の女(昭和8)』にもヨーヨーが出てきます。昭和8年から1年くらいのブームだったらしいです。まさにこの時代がそうだったのかと思います。昭和9年1月というのはそういう時期なんです。そういうものがあつまって『この世界』ができています。戦争をやっている中でもご飯をつくったり、そういう小さなディテールが集まって『世界』が出来ているんです」
そんな何気ない場面に、「世界」が詰まっている。こうの史代もすごいが、それを読み解く片渕須直もすごいと思う。
すごいと思うが、こういうことを積み重ねることで、「世界」に近づくことを確信しているのは、さすがに表現者であると思う。
「こんなことを調べているから、映画がなかなか完成にたどり着かないんです。ただ、その分豊かなものができるのではないかと思っています」
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話のあとに、Q&Aコーナーがあった。
しかし、どうぞと促されてもなかなか1つ目の質問というのは出てこないものである。
ちょっと間があって、私のそばにいた人がすっと手を挙げた。
どこかで見たことのある人である。放送大学のキャラクターを創った人として見たことがあるような…それは、こうの史代先生ご本人であった。
「古い写真は殆どモノクロ写真です。漫画は色がないからモノクロ写真を参考にしても簡単でした。しかし映画だとそうはいきません。色はどうしていますか」
――「色はわからないことがすごく多いんです。呉のバスも、塗装の形はわかっても色がわからなくて…。」
そうして、考察の結果、こうだろうというところまで辿り着いた、呉の市バスの塗色を説明したのだった。
こうの先生は、広島出身ではあるが、広島在住ではない。わざわざ広島まで来て、この講演を見に来たのだ。それだけこうの先生のこのアニメに対する期待が高いのだろうと思わせた。
その後の一般の人の質問(別に先生タイム・一般の人タイムがあったわけではないが)では、このアニメをどうお客さんに見てもらうかの苦悩が垣間見えた。
「近所の子に古いディズニーアニメを見せたけど、あまり興味がないようだった。デジタルのアニメに慣れてて手描きが受け付けないというのがあるのだろうか」
――「私が子供のころは5時からずっとアニメをやっていましたが、最近の子はアニメを見る習慣が薄れているのではないかと思う。子どものためのアニメってそんなに多くなくなっているんです。機会があるごとに、アニメがこんなに面白いということを上映会などで知らせられればと思う。
また、子どもだけでなく、自分のような50を過ぎた人がアニメのターゲットから外れているとも思う。以前制作したマイマイ新子は年齢が上の方にも見てもらえたが、今回もそういう作品になるかもしれない。
しかし、子供向けでも若者向けでもないアニメは、一般の人に気付いて、振り向いてもらえない。アピールが足りないのかもしれない。でも難しい。なんとかいっぱい色んなことをやって世に仕掛けて、周知を考えていかなければならないと思う。今のアニメは、子供だけでなく、大人にも興味を持ってもらえていないのかもしれない。そこを変えていくものを作りたい」
(片渕監督)
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2014年でも「映画がなかなか完成にたどり着かない」と言っていたけれど、そこからさらに2年経ち、ついに映画が完成し上映された。公開初週のランキングは10位だったが、その後4位までランキングは上がり、あちこちのメディアで取り上げられている。
大人が見ている、若者も見ているし家族連れだっての子供も見ているようだ。
本当にこの映画が完成してよかったと思うとともに、こうして露出が増え、色々な層の観客が増えていくことは、監督にとってきっと大変な喜びであろうと思うと、うれしさを感じる。片渕須直監督の「調べて描く」に、不遜ながら敬意をあらわすしかない。*1